「春に期待しない」と、三寒四温が楽になる

 

野の花々が咲きはじめる3月、秋田では積もっていた雪がとけて、春の足音が近づいてくる。

でも私はこの時期、心に決めていることがある。

  

それは「春に期待しない」ということ。

  

この考えが芽生えたのは、秋田に住んで迎えた初めての春だった。

長かった冬がようやく終わり、雪が消えたアスファルトの上を何の心配もなく車で走れる爽快感を噛みしめていた時でもある。

  

私にとって初めての雪国暮らしは、想像していたより遥かに過酷で、毎日の雪寄せはもちろんのこと、今まで体感したことがなかった氷点下の気候に体が悲鳴を上げていた。

  

好きな料理や茶わん洗いも苦痛になるほどの “あかぎれ” と “しもやけ” に悩まされ、風邪を引いては治って、また風邪を引いて…を、ひたすら繰り返していた。

  

今思えば、産後で免疫も低下していたのだろうけど、そうした状況下で子ども二人を育児しながら過ごす秋田の冬は、私にとって苦痛でしかなく、毎朝「雪が解けていますように…」と、祈るような気持でカーテンを開けては、目の前に広がる真っ白な世界に落胆し、大きなため息をついていた。

  

だから、ようやく見えた春の兆しは眩しいくらいの効力で、カチンカチンに凍っていた私の心を一気に解きほぐしてくれたのだ。

 

あぁ、ようやく冬から解放される…。

  

涙が出るほど嬉しい安堵感を味わったのは、いつぶりだろう? と、感傷にさえ浸っていた。

 

でも現実は、甘くなかった。

  

待てど暮らせど、秋田の春はやって来ない。あれ? こんなはずじゃ? と、首をかしげているうちに、厳しい寒の戻りがあって雪が降り、一気に冬に引き戻されてしまったのだ。

  

着たかった白いシャツをルンルン気分で準備していた私は、奈落の底に突き落とされたような気持ちになった。

そんな状況を、2度、3度、繰り返しているうちに、ようやくそれが秋田の三寒四温であることに気が付いた。

  

恐るべし、秋田の三寒四温…。

  

一刻も早くおさらばしたかった冬が、ようやく終わりを迎えたのは、それから2ヶ月後のこと。

桜が咲いたのは、地元の人がいっていたとおり、5月の上旬だった。

 

私はそのころ心身ともに “三寒四温疲れ” をしていて桜を愛でる余裕もなく、桜の前ではしゃぐ子どもの写真を撮るのが精一杯…。軽く心も閉ざしていたので、私が写り込んだ写真は1枚もない。

 

もう、春には絶対に期待しない! なかば春に八つ当たりするように、そう固く誓ったのだ。

   

期待の大きさが、いつしか絶望に変化してしまうことは、日常生活でもよくある。

家族でも、仕事でも、友達でも、勝手に期待しすぎて、勝手に裏切られた気持ちになって、勝手に落ち込んでしまうのだから、いささか身勝手な思考だと自分でも笑えてくる。

  

全力で期待することが、やる気スイッチとなり、成長の種になっている子どもたちを見ていると、それはそれで微笑ましいが、40歳を過ぎた私が心穏やかに春を迎えるためには、淡い期待を抱かないことが最善策だと学習したのだ。

 

2年目以降、春を期待しなくなった私は、自分でも驚くほど楽な気持ちで三寒四温を乗り切れるようになった。

 

寒の戻りさえ、ふふふと笑みを浮かべて見守ることができる東北人の心得を手に入れたのだ。

  

意識して取り組んだのは、この時期、天気予報を1日単位で見ないこと。必ず週間予報をチェックするようにして、たとえ寒の戻りがあっても、何日後には必ず晴れることを視覚的に確認し、自分を安心させてあげていた。

 

春は必ずやって来る、それを知っていれば、何も恐れる必要はないのだ。

  

今では、太陽を見あげながら「おひさまが出てきて、うれしいね~」「おひさま、ありがたいね~」と、穏やかな会話を子どもたちと交わせるまでになった。寒さでひねくれてしまった思考と感情が、もとに戻ったのだろう。

   

自然環境によって、思考や価値観は変わる

 

秋田に暮らして、それをつくづく実感している。

仕事柄、職人さんを取材をしたり、商品開発をすることもあるが、愛媛と秋田の職人さんの傾向は大きく異なる。

どちらが良いとか悪いとかではなく、それぞれ地に根差した考え方があり、それが思想や価値観となって表れているのだ。

  

私のなかにも、知らず知らずに構築されていた “当たり前” があり、それが秋田に来てから一気にくつがえされている。三寒四温の感覚もしかり。

  

そのたびに、オロオロと慌てふためく自分は、もういい大人なのに情けないなぁと幻滅するが、じたばたしながらもがいていると、どこからともなく新しい思考が舞い降りてくる。

   

今はそれを静かに受け止めることしかできないが、こうした思考のアップデートを繰り返しながら、私の新しい “スタンダード” が築かれていくのだろう。

   

ありがとう、秋田の冬―。

はやくおいでね、秋田の春さん。  

 

 

  

 

 

  

  

   

  

   

  

   

  

 

 

kindle版「いま、秋田村から 1」 発行 Nowvillage(2023年2月)

 

 

 

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