【秋田折々】迷信について考える 雛人形の片付けが遅れると婚期が遅れる?

3月3日は、ひな祭りでしたね。

わが家は娘が2人なので、実家から譲り受けたひな人形を飾りました。7段飾りは置く場所がないので、おもちゃ棚の上にお内裏様とお雛様をちょこんと飾り近くに三人官女を飾ったら、長女に「ママ―!ぼんぼりがないよ!」と気付かれました。いつの間に覚えたのだろうと感心しながら、ぼんぼりの代わりにひなあられを飾って何とか凌ぎました。

さて、3日が終わると、今度は「さっ、片付けしなければ!」という焦燥感に駆られます。愛媛では旧暦が本番だったので、4月までゆったりとした気持ちで飾り片付けにシフトできましたが、近年は急かされるような気持ちで片付けに取り掛かります。

理由は、「ひな人形の片付けが遅れると婚期が遅れる」とか「婚期を逃す」と言われているから。

でもこの迷信、ちょっと酷すぎると思いませんか? 迷信の矛先が自分ならまだしも、子どもの将来に関わることだし。しかも女の子にとってはキラキラ輝く夢の結婚なのに、それが遅れるとか逃すとか…。涙 

私はこの迷信のおかげで、片付けに及ばず、ひな人形を出すことさえ躊躇してしまいます。わざわざ出しても行事が終わればすぐに片付けなければいけないなら、出さなくてもいいか?と、2月入ってから自問自答をひたすら繰り返していました。郷土玩具のように、さっと出して飾れないという煩わしさもありますが。

ひな祭り文化の源流をたどると「流し雛」に行き着きます。紙で作った人形を川に流し厄祓いをするという伝統行事で、形代(かたしろ)と呼ばれる人形が身代わりになって、悪いものを祓ってくれると信じられていました。この風習がいつしか精巧で豪勢な観賞用の人形になったわけですが、片付けることが流し雛を川へ流すことと同じ意味と捉えられているので、いつまでも飾っておくと移した穢れが戻って来てしまうと考えられているようです。

昔ながらの言い伝えには、俗信(俗説)と迷信があります。

俗信とは『古代の信仰や呪術が民間に退化して残ったもの』で、ものごとの捉え方や考え方やその内容を意味しており、迷信はその中でも『社会生活に害があるものや害を与えるもの』を指します。つまり、それをすると(しないと)悪いことが起こるというような不吉なジンクスのことです。

子育てをしていると、この俗信や迷信に惑わされることが多いように感じます。例えば、”妊娠中は柿を食べてはいけない”とか、”妊婦は葬式には出ていけない”とか、”火事を見てはいけない”とか、根拠のない「〇〇してはいけない」が、よく耳に入ってきます。

秋田にも地域特有の俗信があり、”子どもが欲しい人は麻糸をその年に子どもを産んだ人のところにもらいに行く”とか、産後は”茶碗で食べると体が冷えるので百日間は木椀で食べる”とか、”醤油は七〇日間、酢は百日食べない”といった言い伝えがあるようです。医学的根拠はよく分かりませんが、母体に心身の負担をかけないための思いやりが、こうした俗信を生んだのでしょう。

でも、能代や由利本荘の地域に伝わる”お産で気が遠くなったら、夫が屋根の上に上がって妻の名前を呼ぶ”という説には驚きました。そんな時ほど傍にいて手を握って名前を呼んで欲しいものですが、わざわざ屋根に登ることを勧める地域が多いのは、お産が生死を分ける大変な時代にきっと何らかの出来事があったのでしょう。

先日、子ども二人を連れて地元のスーパーに買い物に行った時のこと。

猛烈イヤイヤ期の次女はコートを着たがらず、でもその日は大雪だったのでなんとか着せようと説得すると「反対ならいいよ」と言って、コートを前後ろ逆に着てくれました。首の下にはフードがたらり、背中でチャックをキュッと閉めて、なんとかスーパーに入ったのですが…。

お店に居合わせた年配の女性に「死人に着せる着せ方だから、縁起が悪いわよ」と指摘されてしまいました。なんとなく聞いたことがあったのですが「そうなんですか!知らなかったです」と返答し、コートの前後を直そうと試みましたが、そう簡単に応じてくれるはずもなく…。

その女性も悪気があった訳ではなく、私や娘のことを思って教えてくれたのだと思いますが、次女を追いかけながら「聞かなければ良かった」と後悔しました。この「縁起が悪い」という言葉は効力が強くて、本当に悪いことが起きるような予感さえします。不吉な迷信ほど一度聞いたら絶対に忘れないし、言霊のようにずしんとのしかかってくるから厄介です。

でも冷静に考えたら、自我が芽生えた2歳の子どもが自分の気持ちと格闘しながらも納得する術を見つけ、頑張って着て、しかも今は満足しているんだから尊重してあげよう!という気持ちになり、そのままにしました。心の中で「どうか悪いことが起きませんように」と念じながら。

でも俗信に助けられることもあります。安産祈願に友人が贈ってくれた浅草の笊かぶり犬(笠かぶり犬)は、今も目が合うたびに不思議と元気になります。「竹かんむり」に「犬」で「笑う」という字になることから、安産祈願として親しまれている張り子の郷土玩具で、出産のときも病院に連れて行き枕元にいてもらいました。2人の出産を見届けてくれた思い出深い郷土玩具で、私にとっては心強い存在です。

こんなにも科学や医学が発達しても俗信や迷信が消えないのは、それに助けられたり救わたり、勇気をもらっている人がいるからかもしれません。見方を変えれば不吉な迷信も、時に戒めや教えとなって心を律してくれることがあります。安易な考えを正したり、気を引き締めたり、心を軌道修正するチャンスやきっかけになることも。

「そんなの迷信だから!」と、一手に跳ね除けてしまえば楽なのでしょうが、今の私はまだそこまでの勇気がないので、なるべく自分に都合の良いことだけを信じていこうと思います。俗信や迷信に振り回されるのではなく、いつかそれらをうまく利用できる人になれたらいいなと願いながら。

本日、重い腰を上げて、ようやくひな人形を片付けました。迷信にかこつけて面倒くさがってごめんねと声を掛けながら、来年また会う約束をしました。

  

※参考図書「俗信」瀬下三男著(秋田文化出版社)

  

 

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